物事を判断する時の基準。
なんて大げさなことだけではなく。
日々の生活の中の基準というか、当たり前と思うことというか。
そういったものは親の影響を受けて形成されていくんだ、と当たり前のことを実感しました。
赤子ちゃんの初節句に向け、雛人形を買ってもらいました。
雛人形、ものすごーーく種類があるんですね。
知りませんでした。
七段飾り、三段飾り、親王飾りと段数も違い。
衣装着、木目込み、と作り方も違い。
そして、その中でも人形の作り手によりお顔や雰囲気が違い。
衣装が違い、屏風や台のデザインが違い。
あまりに選択肢の幅が違って驚きました。
その中で私が選んだのは、木目込み人形の親王飾りです。
可愛らしく、また上品で落ち着いていて、出し入れや収納もまぁ大丈夫そうで、子供のためはもちろんながら、長く飾っていけそうと思ったからです。
私自身のお雛様は、衣装着の七段飾りです。
赤い毛氈の上にお雛様とお内裏様、三人官女、五人囃子、右大臣左大臣から嫁入り道具たちまで、みんな並んでました。
小さい頃はそれが嬉しかったし、それが雛人形のイメージでした。
赤子ちゃんに買ってもらったのが親王飾りなので、2歳から7歳くらいまでは私自身のを借りてきて(もしくは祖父母宅で)七段飾ってあげるつもりでいます。
七段を見ると嬉しいだろうし、お雛様は本当はこんなに段があるんだよ、って知るためにもね。
で、本題。
私は今でも、お雛様、と言われれば衣装着のスッとした顔のものをイメージします。
でも、私が木目込み人形を選んだことで、赤子ちゃんがお雛様と言われてイメージするのは、木目込み人形の丸顔のものをイメージする訳です。
どういうお雛様をイメージするかなんて、人生においては些細なことで、本質には関係ありません。
でも、言わば「お雛様ごとき」でこうな訳で。
真っ白なところからのスタートですから、いろんなことの基準、当たり前なこと、というのは親が決めて行ってしまうのだな、と。
家の中の細かいことから、考える基準まで。良いことも悪いことも。
親になるというのは重大です。
もちろん、楽しいこともたくさんたくさんたくさんですから、楽しみながらなんですが♪
後ろ姿を見られている、特に小さいうちは親の作る環境が大きな影響力を持つ、ということを忘れずにいきたいです。